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2020年4月 6日 (月)

ベタニアのマリアとユダ

難の月曜日ミサ説教
2019年4月15日、本郷教会
第一朗読 イザヤ42.1-7
福音朗読 ヨハネ12.1-11

 

昨日から聖なる一週間が始まり、今日は受難の月曜日であります。今日の福音、ヨハネの12章は、過ぎ越し祭の6日前にベタニアで起こった出来事を告げています。イエスは、度々、ベタニアにある、マルタ、マリア、ラザロの家に赴かれたようであります。
さて、この時、マリアは、純粋で、非常に高価なナルドの香油を、一リトラというかなりの量を持ってきてイエスの足に塗り、自分の髪でその足を拭いました。家は香油の香りでいっぱいになりました。このマリアのしたことは大いに人々を驚かせました。この時の情景が目に浮かんできます。
後でイエスを裏切るイスカリオテのユダは、このマリアの行為を非難して言いました。「なぜこの香油を300デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
3百デナリオンというお金は相当な金額になります。1デナリオンが1日の労働者の賃金であると言われますので、1年分の給与近い金額に相当します。このような高価な香油を使ってマリアは何のためにこのようなことをしたのでしょうか。
マリアの心とユダの心の間には大きな隔たりがあったようであります。マリアはひたすらイエスのことを思い、そして、間もなくイエスがこの世から去ることを予感し、その葬りのための用意をしたのではないかと考えられています。更に、イエスこそまことの王であり、油注がれた者、メシアであるということを、予め、前もって、人々に指し示したのではないか、とも考えられます。
それに対して、イスカリオテのユダの考えていたことは何であったのでしょうか。ユダが本当に貧しい人のことを思って言ったのではなくて、彼はイエスから会計を預かっていて「その中身をごまかしていた」と書かれています。彼はそのお金を、貧しい人のために使うことを考えたのではなく、ごまかしているお金のことを思って、そう言ったのであると福音書は告げています。
昨日から始まった聖なる一週間、イエスがどのようにして十字架上の死に赴いていったのか、イエスを取り巻く人々の心はどのように揺れ動いていったのか、そして、その一週間の中で、2千年後のわたしたちは、自分自身の心を見つめながら、主イエスの受難の意味を黙想し、そして、死から命への過ぎ越しの神秘を思いながら、大きな復活の喜びにあずかることができますよう、心静かに過ごしたいと思います。

第一朗読  イザヤ書 42:1-7
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ
彼は国々の裁きを導き出す。
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく
暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。
暗くなることも、傷つき果てることもない
この地に裁きを置くときまでは。
島々は彼の教えを待ち望む。
主である神はこう言われる。
神は天を創造して、これを広げ
地とそこに生ずるものを繰り広げ
その上に住む人々に息を与え
そこを歩く者に霊を与えられる。
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び
あなたの手を取った。
民の契約、諸国の光として
あなたを形づくり、あなたを立てた。
見ることのできない目を開き
捕らわれ人をその枷から
闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

 

福音朗読  ヨハネによる福音書 12:1-11
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。

 

 

 

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コメント

高価な香油をイエスの足に塗って自分の髪でその足を拭ったマリアを思い浮かべ、イエスとユダの緊迫した対話の場面を想像しながら、拝読いたしました。 イザヤ書は美しい詩のようで、旧約聖書なのに、後にイエスが現れることを待ち望んでいるような言葉で書かれていると思いました。

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