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2020年4月 7日 (火)

ユダはなぜイエスを裏切ったのか?

受難の水曜日ミサ説教

2019417日、本郷教会

 

昨日はヨハネの福音ではユダとペトロの裏切りについての箇所が読まれましたが、今日はマタイの福音がユダの裏切りについて述べています。今日イエスが言われた言葉、「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」という言葉は衝撃的です。このことばをどう受け取ったらよいか、が議論されています。そもそも生まれなかった方がよい、という者がありえるのだろうか、イエスの口からそのような言葉が本当に出たのだろうか、という疑問が生じています。ルカの福音ではこの言葉が省かれています。他方マルコの福音でも同じ言葉が記されています。どういう意味だろうか。イエスは12人をご自分でお選びになったのでした。ユダはイエスが選んだ人です。非常に才能のあった人で、イエスの集団の会計係をしていて、実務的な分野で才能を発揮していたと思われます。他方他の弟子たちとの間で折り合いが良くなかったのではないかと考える人もいます。

昨日も申し上げたのですが、ユダはどうしてイエスを裏切ったのであろうか。他の弟子たちもイエスの受難に際して恐怖のあまりイエスを見捨て、裏切ってしまいました。ペトロの裏切りの場合は理由が分かりやすい。他方、ユダの方は分かりにくいと思います。「生まれなかった方が、その者のためによかった」とイエスに言われてしまった。イエスは苦しいユダの心中を察し同情して、「あなたが生まれなかったらこのような苦しみに出会わなくてすんだでしょうに」という意味でそういったのでしょうか。決してユダの存在自体を否定してそう言ったのではない、と考えられる。あるいは、「まだ遅くない、あなたのその計画を辞めなさい」と言おうとしたのか。イエスは、他の弟子たちに、「裏切り者がユダである」とは言わなかった。いつの時点で裏切りが成立したのか、ということも微妙な問題です。すでにユダは祭司長たちの所に行き、銀30枚でイエスを引き渡す約束をしているので、裏切りは始まっていた、と言えます。昨日のヨハネの福音では、ユダがイエスかからパン切れを受けたときにサタンが彼の中に入った、となっています。どいう風に考えたらよいのか、・・・難しい問題です。

ユダの裏切りは神の計画に入っていた。ユダに裏切らせることによって、イエスは十字架の刑が成立し、その結果イエスは全ての人の救いを成し遂げた。ユダの裏切りは神の計画のシナリオに入っていたのである。」そういう見方もあります。しかしそれはユダにとってあまりにも気の毒な見方です。またさらに、ユダの裏切りをむしろ良いこととして評価しユダに感謝すべきである、という極論さえもあるようです。

このように、ユダという人について様々な意見、見解がありえます。わたしたちはどう考えるか。一つわたしが昨日からなるほどと思ったことがあります。

イエスが、「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言った時、弟子たちは非常に心を痛めました。そして

「『主よ、まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた」

とあるのです。『主よ、まさかわたしのことでは』と言った時の弟子たちの気持ちはどのようなものであったでしょうか。もしかしてそれぞれの弟子は、多少とも自分にもイエスを裏切る可能性がある、という自覚を持っていたのかもしれない、と思うのです。人は何かのきっかけで、重大な背信行為に走ってしまうこともありうる、と考えてしまいます。そのような可能性、ユダになるという可能性が自分の中にもある、ということをしみじみ考え思う必要があるのではないか、と思います。

 

 

 

 

 

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コメント

とても気になるタイトルでした。裏切りをしたユダという人についてもっと知りたいと思っていたところでした。裏切りの理由にこんなに多くの見方があることに驚きましたが、お説教の最後の、誰でもユダになる可能性がある、とのお言葉が心に残りました。

とても気になるタイトルでした。裏切りをしたユダという人についてもっと知りたいと思っていたところでした。裏切りの理由にこんなに多くの見方があることに驚きましたが、お説教の最後の、誰でもユダになる可能性がある、とのお言葉が心に残りました。

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