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2020年5月15日 (金)

キリストの弟子は世に憎まれる

516日 復活節第5土曜日

 

「あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。」

キリストの弟子は世に属していない。キリストの弟子たちはその主人のように世から憎まれる。

事実、初代教会、弟子たちは迫害された。日本での多くの殉教者を輩出した。

ヨハネの手紙1は言う。「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。」(215-16)

「肉の欲、目の欲、生活のおごり」とは何だろうか。単に性的な欲望を指すのではない。神の霊に反する諸々の在り方、乱れた欲望の動きを指しているのだろう。ガラテヤ書は「肉の業」と呼んでいる。「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」519-23)

313という年が重要である。この年、キリスト教はローマ帝国で公認された。後任から国教化への道はそれほどの年月を要しない。キリスト教は支配者の宗教とされて「世と世にあるもの」に密着する団体となる危険を帯びるようになった。その問題は現在も存続している。「世に会って世に属さないキリスト者」という課題を我々は生涯背負うことになっている。

 

 

第一朗読  使徒言行録 16:1-10

(そのころ、)パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。

さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。

 

福音朗読  ヨハネによる福音書 15:18-21

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。

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コメント

世を愛する人がいれば、御父の愛はその人の内にはない。世にある欲望は神の霊に反するあり方である。
神の霊の結ぶ実は愛である。 愛とはここでお示しいただいているような言葉で表されるのだと分かりました。パウロの伝道のいく先にはイエスの霊や幻が現われてパウロを導いたという使徒言行録の記述や、福音書のイエスのことばから、当時まだ初期であったキリスト教の広がり方や教えを想像することができました。

「聖霊から禁じられた」「イエスの霊がそれを許さなかった」「幻を見て確信した」という記述から、パウロという人は、本当にいつも、イエスと共にいる、その実感を持って勇気をもって、生きた人なのだなあと思いました。

「あなたがたは世に属していない」と言われるとドキッとしてしまいます。
でも、「霊の結ぶ実は愛であり、」 さらに「喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」という、ガラテヤ書を書き添えて頂いて、今日からでも、どれか一つからでもこころがけられると思いました。

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