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2020年5月 9日 (土)

キリストの平和

復活後第5火曜日、5月12日

 

「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」

 

「キリストの平和」は「ローマの平和」と比べられる。ローマ帝国は圧倒的な軍事力で広大な

領土に秩序をもたらした。キリストの平和は軍事力に依存しない。それは聖霊による神の恵み、愛の支配による平和である。第二ヴァチカン公会議は『現代世界憲章』を発布、平和について教えている。

「平和は力の支配の結果ではない。」

「平和は勢力の均衡の結果ではない。」

「平和はよりよい社会を築こうとする日々の努力の蓄積の中に存在している。」

社会の平和。心の平和。良心の平和。心に責められる所のないない状態。罪の赦し、神との和解の状態にあること。

平和は何より復活したキリストが与える聖霊の賜物である。

司祭はミサの「交わりの儀」の聖体拝領前の祈りで次のように唱える。

「主イエス・キリスト、あなたは使徒に仰せになりました。わたしは平和を、あなたがたに残し、わたしの平和をあなたが谷与える。わたしたちの罪ではなく、教会の信仰を顧み、おことばとおり、教会に平和と一致をお与えください。」

 

第一朗読  使徒言行録 14:19-28

(その日、)ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。

二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。

 

福音朗読  ヨハネによる福音書 14:27-31a

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。」

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コメント

「キリストの平和」 はローマ帝国が軍事力によってもたらしたような平和ではない。聖霊による神の恵みによるもので、社会の平和、心の平和、良心の平和、罪の赦し…などの状態である。 現代世界憲章の 「平和はより良い社会を築こうとする日々の努力の蓄積の中に存在している」、は尊い言葉だと思いました。 使徒言行録にある パウロの強靭な信仰心による教会への貢献や、ヨハネによる福音書の中でのイエスのことばの緊張感も受け止めることができました。 ありがとうございました。

「平和は聖霊の賜物である」
人の心の中に平和がなければ、社会の平和もない。
一人一人の心の癒し、神さまからの赦し、神さまとの和解が必要であると、切に願い求めます。

「わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ」
去って行っても、また、永遠に共にいる聖霊になって戻って来てくださるからだと思います。

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