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2020年5月28日 (木)

自殺の悲劇

5月28日 復活節第7木曜日ミサより

 イエスは父である神に祈った。

「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。」

  人と人、国と国との対立や争いはなぜ起こるのだろうか。

 現在、新型コロナウイルス感染防止という共通の課題のために人類の中での争いは影を潜めているようだ。「新型コロナウイルス」はその発生原因・理由が不明であるが意外な結果として、人類が共通に取り組むべき課題という副産物をすべての人々にもたらした。

 ところで話は変わるが、必要があって若いころ読んだ夏目漱石の「こころ」を再読し、さらに「こころ」について諸子の解釈・意見を読んでいる最中である。この小説の複雑な内容に、非常に考えさせられている。非常に深い問題を提起している小説である。なぜKと「先生」とが自殺しなければならないのか。自殺の理由をどう解釈できるだろうか。残された「お嬢さん」(先生の妻)は二人の死をどう受け止めることができるだろうか。

わたしは、彼/彼女らを赦し受け入れる共通の存在がこの小説には出てこないことが悲劇であると思う。人の弱さと過ちを赦し受け入れる存在を彼/彼女らが知っていたら、異なった展開が在り得たであろうに。イエス・キリストという存在を彼/彼女らが知っていたら死ななくても済んだであろうに、と考える。

 人を赦し受け入れる神の存在がイエス・キリストによって明らかにされている。この信仰をわたしたちは、このような現実に直面している人々に、どのように提示できるだろうか。

 ―――

第一朗読  使徒言行録 22:30、23:6-11
(その日、)千人隊長は、なぜパウロがユダヤ人から訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い、彼の鎖を外した。そして、祭司長たちと最高法院全体の召集を命じ、パウロを連れ出して彼らの前に立たせた。
パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であることを知って、議場で声を高めて言った。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」パウロがこう言ったので、ファリサイ派とサドカイ派との間に論争が生じ、最高法院は分裂した。サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである。そこで、騒ぎは大きくなった。ファリサイ派の数人の律法学者が立ち上がって激しく論じ、「この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか」と言った。こうして、論争が激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵士たちに、下りていって人々の中からパウロを力ずくで助け出し、兵営に連れて行くように命じた。その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」

 福音朗読  ヨハネによる福音書 17:20-26
(そのとき、イエスは天を仰ぎ、祈って言われた)「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

 

 

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コメント

「人を赦し受け入れてくださる神の存在」 についてお教えいただきました。 
ヨハネによる福音書では、イエスは神に、「…父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私たちの内にいるようにして下さい…私たちが一つであるように、彼らも一つになるためです」 と祈る。
今日のお説教のタイトルに一瞬緊張しましたが、漱石の「こころ」もう一度読んでみたいと思いました。

「あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように」
いつもわたしたちの内にいてくださる神さまを感じていたいです。

夏目漱石は門下生への手紙で「死んでも自分はある。しかも本来の自分には、死んで始めて還れるのだと考えている」と書いている、と読みました。
漱石は、神さまなしに、「本来の自分」をとことん考えていこうとして苦しんだのでしょうか。
わたしも「こころ」を読み返してみたいと思いました。

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