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2020年5月 3日 (日)

いのちをかけるアガペー

復活節第4月曜日、5月4日

     

   わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが         父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。

 本日の福音朗読は、昨日、復活節第4主日とほぼ同じ趣旨の福音である。

良い牧者イエスとその羊の間には非常に親しい交わりがなければならない。羊はイエスをよく知っている筈である。

それではわたしたちはイエスをよく知っているだろうか。どのようにイエスを知っているだろうか。

この視点から、イエスをよりよく知る、という動機をもって福音書からイエスを学ぶことは極めて大切である。

よい牧者は『雇い人』ではない。『雇い人』とは「雇われ人」「雇われて報酬のために働いている人」の意味である。自分の身に危険が及ぶと仕事を放棄して羊を見捨て逃亡してしまう。羊は自分の羊ではないからである。良い牧者は自分の羊を守るために命すら捨てるのである。

良い牧者イエスにはまた、まだ囲いに入っていない羊がいる。それは「異邦人」のことである。

第一朗読、使徒言行録は、ペトロが如何にして異邦人に福音を伝えたかを宣べている。ユダヤ人にとってけがれた食物――地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などを食べるということは律法を破る事になり、とんでもないことだった。おなじように異邦人を仲間と認めることは考えられない「想定外」のことであった。

 「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」

 かくて、きょうの使徒言行録が伝える経緯により、福音はギリシャなど異邦人の世界に広がって行ったのでした。

 さて、いまの日本において、イエスの羊とは誰か?囲いの外にいる羊とは誰か?どのように囲いの中に招き入れたらよいのか?

これはわたしたちキリスト者の福音宣教という課題です。圧倒的にマジョリティの囲いの外の人々に(99パーセント)囲いの中の信者はどう福音宣教するのか?

 思うに、結局、「いのち」すら惜しまないイエスのアガペーを実行するしかないのではないだろうか。

 第一朗読  使徒言行録 11:1-18
(その日、)使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。

福音朗読  ヨハネによる福音書 10:11-18
(そのとき、イエスは言われた)わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。 だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

 

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コメント

羊のためには命をすてる、それぐらい一人一人を大切に守ってくださるイエスのまなざしを本当にありがたく黙想した昨日でした。「心配しないで、自分に与えられたささやかな務めを果たせるように」と思いました。

今日は、私たちも、「『いのち』すら惜しまないイエスのアガペーを実行するしかない」、という言葉に、囲いの中で守られているだけではなく、求められている厳しさを受け止め、考えさせられてしまっています。

牧者イエスは羊である私たちのことを知っていて下さり、自分の羊を守るために命すら捨ててくださるが、それだけではなく、囲いに入っていない羊であった異邦人をも導かれた。そのようにして福音はギリシャや異邦人の間にも広がっていくこととなった。使徒言行録では、ペトロは異邦人が神の言葉を受け入れたいきさつを人々に臨場感あふれる言葉で語り、暗示的な言い方で聖霊の力を讃えているのが印象に残りました。

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