無料ブログはココログ

« 5/8,9,10日の福音 | トップページ | キリストの平和 »

2020年5月 8日 (金)

三 P

復活後第5月曜日、511

 

弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」

 

主の復活、昇天、聖霊降臨の後の時代は、教会の時代である。教会の時代は聖霊の時代である。

教会は聖霊に聞く神の民。聖霊が何を言うべきかをわれわれに教えてくださる。聖霊に聞くためには心を空しくしなければならない。心に捉われがあっては聖霊がブロックされてしまう。

妨げになる思いとは何か?ある説によると

POWER(権力), PRESTIGE(権威)、POSSESSION(所有)

の三P であるという。よく黙想してみたい。

人を思うように動かしたい、という思いが権力欲。多少ともこの思いから人は免れない。無視されると悔しい思いをする

人から重んじられたいという権威・名誉への欲望からも人は自由ではない。言い換えれば馬鹿にされたくないという思い。

好きなものを自由に支配し使用したいという所有欲。これも侮れない欲望。手に入らないと悔しい、寂しい、面白くない、などのマイナスの思いに捉われる。

謙遜、従順、素直、平和、寛容、親切、忍耐、節制などの徳に恵まれたいものです。

 

 福音朗読  ヨハネによる福音書 14:21-26
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」

 

 

 

« 5/8,9,10日の福音 | トップページ | キリストの平和 »

コメント

岡田大司教様

連日のブログのアップロードを大変ありがとうございます。
今週は三密を避け、本郷教会ホームページ
URL:https//hongo-catholic-church.jp
の更新作業の時間帯を
遅らせて居tましたが、公開ボタンをクリックするのを
忘れていたらしく、本日月曜日から一週間分をアップロードいたしました。
聖霊降臨までの時間が大変有意義に感じられます。毎日のミサの朗読箇所が適切な場所であることがよくわかります。ありがとうございました。

追伸:エリザベト・マリア北原怜子さんに取次ぎを願いお祈りしております。

心に捉われがあると聖霊の教えがブロックされて、イエスが話されたことを守れない。自分のことで考えると、長く生きてきた分だけ、お説教の 3P にさまざまに影響されているのにきがつきます。「聖霊降臨の後は教会の時代であり、聖霊の時代である、聖霊がすべてを教えてくれる」。 お教えいただいたことの意味をよく考えたいと思います。  
   

「聖霊に聞く」には「心を空しくしなければならない」ということが心に響きました。

「聖霊」と「弁護者」という言葉が、あまり結びつかない感じがしましたが、原語の「パラクレートス」というギリシア語の「パラ」は「傍らに」、「共に」、「クレートス」は「呼ばれた者」という意味があって、文語訳では「助け主」となっていたことを知り、イメージがわいた気がしました。

「権力」や「権威」や「所有」というと、自分にはそんなに欲がないように思うけれど、日常場面で、身近な人に対してほど、「自分の思うように動かしたい」「自分の方が正しいと思わせたい」気持ちが強いことによく気づかされます。それは、自分の力ではどうにも逃れられないものなのだな、とつくづく思います。
よくお祈りをしたいと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 5/8,9,10日の福音 | トップページ | キリストの平和 »