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2020年6月25日 (木)

岩の上に家を建てる

2020625日、年間第十二木曜日 ミサ説教

 

山上の説教を学んできました。今日は「山上の説教」の結びにあたる部分で、

「『主よ、主よ』という者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイ721)というイエスの言葉を聞きます。

「山上の説教」というのは、神の国の福音のあり方を述べておりますが、わたしたちにとっては、その実行がやさしくはないと思われます。

やさしくないから実行しなくてもよい、というわけではさらさらない。

しかし、実行できなくとも、実行するように努めなければならないのであると思います。

ヨハネの手紙のなかに次の様な言葉があります。

「もし自分に罪がないという者がいれば、その人は偽り者である。」(一ヨハネ18

神の前にわたしたちが正直に誠実に反省するならば、まったく自分に落ち度がないとか、過ちがないという人はいない。聖書のほかの箇所でもそのように言っています。そこでどうするのかと言うと、自分の問題を謙虚に認めて、赦しを願うということであります。

わたしたちが日々唱える「主の祈り」もそのような祈りになっています。

わたしたちは、「御心が行われますように」と祈り、それは自分のことはさておいて神様の御心が実行されますようにということよりも、自分において、自分が今日も神様の御心を行うことができますようにと、祈るのであります。

そして一日が終わって、自分がどのように自分は神の御心を実行したのかということを反省する時に、神の御心を完全に知ることもできませんし、神の御心に背くことをした、あるいは御心を行わなかったという反省をしないわけにはいかない。

そこで、「わたしたちの罪をおゆるしください」と祈るのであります。

ところで、今日の福音で言う「岩の上に家を建てる」とは、イエス・キリストという岩の上に家を建てるという意味ではないかと思います。

 

もし「わたしの天の父の御心を行う」という言葉の意味が「律法を行うこと」と同じであれば、イエスの言葉と使徒パウロの言葉が対立することになります。パウロは、人は律法を実行することによっては救われない、とはっきりと言っています。「岩の上に家を建てる」とはイエス・キリストに免じて神に受け入れていただくという意味であると考えます。

福音朗読  マタイによる福音書 7:21-29
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

 

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コメント

「岩の上に家を建てる」というのは、イエス・キリストという岩の上に家を建てるということ。
「わたしの言葉を聞いて行う者は岩の上に自分の家を建てた人、
わたしの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた人」
と聞くと、岩の上に自分の家を建てる者になるのはとても難しく感じますが、「イエス・キリストに免じて神に受け入れていただくこと」と言っていただくと、ありがたいです。
家自体は小さなものでも、キリストを土台として立っていることで、ゆるぎなく、倒れずにいられるものとなるのだと思いました。

追加です。
そういう土台に出合わせていただけたことは、これからも揺さぶられ続けられる人生の中で、とてもありがたいことだったのだと、あらためて感じました。

主の祈りの、「御心が行われますように」は、自分が今日も「神様の御心を行うことができますように」と祈ることで、一日の終わりには、「神の御心に背くことをしたとか御心を行わなかった」と反省して「わたしたちの罪をおゆるし下さい」と祈ること。はっきりお教えいただきました。岩の上に家を建てるとは、神に受け入れていただくという意味で、イエス・キリストに免じて神に受け入れていただくことであり、ゆるぎのないものである。パウロの、人は律法を実行することによっては救われない、という言葉も、天の父の御心を行う者だけが天の国に入る、という、キリスト教の新たな歩みを意味する大切な言葉のように感じました。 「神の御心を行う」、は日々の暮らしでとても重いことばです。

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