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2020年6月 3日 (水)

復活の世界

63日 聖カロロ・ルワンガと同志殉教者、年間第九水曜日

 子どもに恵まれないうちに夫に死なれた妻は夫の兄弟を夫にして子孫を残すことになっていた。所謂レビレート婚である。(申命記155-10)

復活を信じないサドカイ派の人々は極端なナレビレート婚の場合を挙げてイエスを陥れようとした。それに対するイエスの答えは、

「死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」

復活の世界では「めとることも嫁ぐこともない」ということは分かる。しかし神がモーセに、『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』であると言われたということが、どうして復活を肯定することになるのか、俄かには分かりにくい。イエスは言われた。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」

アブラハム、イサク、ヤコブは死んでしまってもう過去の存在であり無に帰しているのなら彼らの名前を呼びことは意味がない。アブラハム、イサク、ヤコブは神のもとに居るのであるから神は『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と言っているのである。アブラハム、イサク、ヤコブは神のもとで生きているのである。それが復活を証明している。…そういう意味だろうと思われる。

死者と生者の交わりは「聖徒の交わり」と呼ばれる美しい信仰の現われである。

 第一朗読  テモテへの手紙 二 1:1-36-12
キリスト・イエスによって与えられる命の約束を宣べ伝えるために、神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、愛する子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。
わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。
わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。この福音のために、わたしは宣教者、使徒、教師に任命されました。そのために、わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。

 福音朗読  マルコによる福音書 12:18-27
(そのとき、)復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」

 

 

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コメント

「復活」は信仰においてとても大切な言葉なのに難しく感じました。イエスは、「アブラハム、イサク、ヤコブは神の下で生きている。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」、と言われました。この世にも現れるということでしょうか。神のもとに行った者と生者の交わりは美しい信仰の現われでもある。 復活の後に私たちには新しい命が与えられる…結婚のようなものは必要ない。神によって生きられる・・・。 想いがはみ出しそうになりました。 

「死者と生者の交わりは『聖徒の交わり』と呼ばれる美しい信仰の現われである」ということばが、心に響きました。それは信仰の大きな恵み、喜びです。

パウロのテモテへの手紙の「あなたに与えられている神の賜物を、再び燃え立たせるように」、「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」というところも、今の私に、響いています。

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