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2020年7月 9日 (木)

天の国の到来のしるし

79日 年間第14木曜日

ホセア書に現れた神の心の葛藤。「わたしは激しく心を動かされ憐れみに胸を焼かれる。わたしは、もはや怒りに燃えることなくエフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。」

神は怒りと憐れみの間で心引き裂かれるほど苦しむが結局怒りに憐れみが勝つことになる。人間的な神と言ってよいか?

ーーー

第一朗読  ホセア書 11:1-48c-9
(主は言われる。)まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。わたしが彼らを呼び出したのに彼らはわたしから去って行きバアルに犠牲をささげ偶像に香をたいた。エフライムの腕を支えて歩くことを教えたのは、わたしだ。しかし、わたしが彼らをいやしたことを彼らは知らなかった。わたしは人間の綱、愛のきずなで彼らを導き彼らの顎から軛を取り去り身をかがめて食べさせた。
イスラエルよお前を引き渡すことができようか。アドマのようにお前を見捨てツェボイムのようにすることができようか。わたしは激しく心を動かされ憐れみに胸を焼かれる。わたしは、もはや怒りに燃えることなくエフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。

 

福音朗読  マタイによる福音書 10:7-15

「天の国」の到来は、使徒たちによって、病人の癒し、死者の蘇り、重い皮膚病の人の癒し、悪霊を追い出すこと、などによって示された。それは「平和の到来」と同じ趣旨ではないか。

現代世界を見るに、これらのしるしは見らないわけではないが、ほんの僅かな現象に過ぎない。天の国=神の国の完成の時にこのような現象が行き渡るのだろう。

ーーー(そのとき、イエスは使徒たちに言われた。)「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」

 

 

 

 

 

 

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コメント

『天の国の到来のしるし』というタイトルの意味を考えながら拝読いたしました。
ホセア書の前半には、イスラエルをわが子のように愛したのに彼らは去っていった。人間の愛のきずなで彼らを導き、軛をとり去り身をかがめて食べさせたのに、と、人間のような神の嘆きが語られるが、後半、「イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか…私は激しく心を動かされ憐れみに胸を焼かれる。・・・わたしはもはや怒りに燃えることなくエフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。…怒りをもって臨みはしない。」 怒りではなく憐れみに胸を焼かれる神の深い愛に気づかされます。
マタイによる福音書では、イエスは、使徒たちに、いろいろな癒しの権能を与えているのだから、自信と誇りをもって、『天の国は近づいた』 と宣べなさいと言われ使徒たちを布教に派遣されたのだと思います。そしてイスラエルに天の国が到来する。 多くのことをお教えいただきました。

「腕を支えて歩くことを教えた」「身をかがめて食べさせた」は、本当に人間が幼い我が子を愛し、育てるのと同じだと思いました。だから「彼らがわたしから去って行った」時にも、「わたしは激しく心を動かされ、憐みに胸を焼かれ」、「お前を見捨てることはできようか」とおっしゃっている、その思いがとても伝わって来ました。
「わたしはもはや怒りに燃える事なく、エフライムを再び滅ぼすことはしない」
「わたしは神であり、人間ではない」「怒りをもって臨みはしない」
神の愛の痛みが深く感じられ、自分の親や子どもとの色々な出来事も思い出されました。

「天の国の到来のしるし」は何であるかといえば、ホセア書での神の怒りが解けて人間を全面的に赦すことを宣言しているのではないでしょうか。
人間はその大いなる恵みを受けて、罪を悔い改め和解へと導かれていくようです。
イエスの生涯を思い起こすとき、人間の罪の贖いとして神のみ心に従い生き、死んでくださったこと。何度も同じ過ちを犯さざるを得ない私たちの中に住まわれ、赦しと癒しを施し罪からの解放へと導いてくださったのだと思わずにはいられません。

キリストを信じる信徒の共同体である教会は、すべての人々に救いのメッセージを伝える使命を受けています。
現代世界憲章の冒頭の言葉に、「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、特に貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」と明記されています。なんと喜ばしいメッセージでしょう。ホセア書に通じるところがあります。それはまた、神はすべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられるという風に受け取ることもできます。

今、世界中の人々が各地での紛争や戦争によって、また、コロナウィルス禍と災害によて非常な苦しみの中にいます。
地球全体がまるで大地震でも起きたかのような激動の時代に入っているようにも思えます。人々の生活は今までとは変わっていかざる得ないのではと思われます。
その中で一人一人の生き方が問われているようにも思えます。
キリストの教会は、光と闇、明と暗、悲しみや苦しみの中でこそその陰影の神秘が発揮されると思います。

一人の人のできることは小さなことでも、集まれば大きな力になります。わたしたちの教会が豊かな聖霊の働きによって、イエス・キリストを証するしるしとなりますように祈りたい思います。

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