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2020年7月17日 (金)

イエスを殺そうとした動機

2020年7月18日、年間第15土曜日の福音から

「ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。」

どうしてファリサイ派の人々はイエスを殺そうと相談したのか。

この直前の箇所を引用しよう。

 イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。 すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。 そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。(マタイ12・9-13)

 そこでわかるが、それは、イエスが安息日に片手の萎えた人を癒したからであった。この事件が、ファリサイ派足しがイエスの存在を抹殺するように動く動機になっている。どうしてこれがイエスの抹殺の動機になるのか。実に分かりにくい動機である。それほど彼らにとってイエスの言葉と行動は冒涜的であり涜聖の罪に当たると考えたのであろう。

 以下、本日の福音に続く。

ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。

イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。 「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。彼は争わず、叫ばず、/その声を聞く者は大通りにはいない。正義を勝利に導くまで、/彼は傷ついた葦を折らず、/くすぶる灯心を消さない。 異邦人は彼の名に望みをかける。」

――

イザヤ書の主の僕の歌よりの引用。

彼は傷ついた葦を折らず、/くすぶる灯心を消さない。

曽野綾子の小説に『傷ついて葦』というのがあったと思う。最新の優しさをもって傷ついた人、苦しむ人、病む人、悩む人に接するイエスの在り方を彷彿とさせる。

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コメント

神はわたしの光、わたしの救い、わたしはだれも恐れない。
神はわたしのいのちのとりで、
わたしはだれをはばかろう。

あかつきとともに めざめ
神の美しさを仰ぎ見よう

朝ミサで、毎日繰り返し歌った歌声が心の中で響いてきます。

また、皆さんで集うことのできる日が来ますように、一人一人を思い浮かべてお祈りします。

正義を勝利に導くまで、
彼は傷ついた葦を折らず、
くすぶる灯心を消さない。

細心の配慮を持って私たちを慈しんで見守っていてくださるイエスのまなざしを、いつも感じていたいです。

 自分をどのように殺そうかと相談しているのを知ったイエスは、皆の病気を癒して、ご自分のことを言いふらさないようにと戒められた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、私の選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕に私の霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。異邦人は彼の名に望みをかける。」
 イエスの胸の内にあったと思われる神のこの言葉は何度読み返しても感動を覚えます。 

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