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2020年7月12日 (日)

被造物の呻きとは何か

7月12日 年間第15主日

 

神の造った世界になぜコロナウイルスという人類を恐怖に陥れる問題が発生しているのでしょうか。

あるいは2011年3月11日の東日本大地震のような災害が何故起こるのでしょうか。

神が造った世界は「極めて良かった」(創世記1・31)のではなかったか。

使徒パウロの本日の第二朗読、ローマ書8章によれば、人間だけではなく、人間以外の被造物も救いを待っている、とあります。すなわち「滅びからの隷属から解放されて、神の子供のたちの栄光に輝く自由にあずかれる」日が来るのを待ちながら呻き、生みの苦しみを味わっているのです。

「被造物の呻き」とは、例えば、地震であったり、コロナウイルスであったりするのではないだろうか。

 

「被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」

 

人間の解放と被造物の解放がつながっています。教皇フランシスコは「ラウダート・シ」において、人間の環境破壊、地球への利己的侵害行為を非難していますが、現在の自然環境の不秩序は人間の一方的・利己的な開発行為に原因があると思われます。

救いとは、人類だけの救いではなく、すべての被造物の救いです。すべての被造物が贖われて初めて「極めて良い」という創世記1・31の言葉が実現するのではないでしょうか。

今日の福音の種まきの譬えは、「良い土地」とは、他の被造物の解放と救いと一緒でなければ人間の救いはありえない事を悟ることのできる人間の心の状態であれ、と言っているのではないだろうか、と思います。

 

第一朗読  イザヤ書 55:10-11
(主は言われる。)雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人には種を与え食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 8:18-23
(皆さん、)現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

福音朗読  マタイによる福音書 13:1-23
その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」
《弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。
『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」》

 

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コメント

宮沢賢治の言葉が思い出されました。

カトリックでは、人間も被造物でありますが、神様から「ご自分の似姿」としての知恵、息を吹き込まれたことによって他の被造物とは違う特別な役目、神さまとの関係を結ぶものとなった、という理解でよいでしょうか。
そういう点では、人間も他の被造物と横並びの存在とする仏教などとは、人間と他の被造物との関係が違うのでしょうか。勉強が足りないので違うかもしれません。

でも、今日の福音ではあらためて「人間だけではなく、人間以外の被造物も滅びへの隷属から解放されて、神の子ども達の栄光に輝やく自由にあずかれる日が来るのを待ちながら、共に呻き、産みの苦しみを味わっている」。人間の解放と被造物の解放はつながっている。人間だけの解放はありえない。と書かれています。

人間にとっての都合のよさ、効率、利益だけによる解放はありえないけれど、それが便利で快適だと思って求める気持ちも、自分を含め、人の心にはあるので、「それが悟ることのできる人間の心の状態」、被造物としての恵みに思いをはせ、味わい、感謝する時間、心の状態が必要だなと思います。

「被造物は虚無に服していますが」それは、服従させた方の意志によるものであり「同時に希望も持っています」。という箇所はどういう意味だろう、と気になりました。

「被造物の呻き」は、今の私たちが体験している苦しみですが、「…被造物がすべて今日まで共に呻き、共に生みの苦しみを味わっていることをわたしたちは知っています。」と仰っていますように、創世記のころから人間だけではなく人間以外の被造物も救いを待っている。滅びへの隷属から解放されて栄光に輝く自由に与れるのを、呻きながら、生みの苦しみを味わいながら待っている。けれども、どんなに苦しくとも、生みの苦しみの後には救いや喜びが訪れるという希望がある。
人間の解放と他の被造物の解放はつながっているが、人間の一方的、利己的侵害行為が原因でそれが断ち切られている。私たちがそれを進歩だと思い込んできたのは間違いだったと思わずにはいられません。マタイによる福音書で、イエスが弟子たちに力強く具体的な指示をして励ましているのが印象的です。

植物も動物も、自然も、大地も空も呻いている。
人間たちがもたらす環境破壊は、自然災害をもたらし、原発施設や高速道路やリニア新幹線などの事故にもつながるだろうとの思いも湧く。また、戦争、紛争においても、神が造られた世界を荒れ果てた世界にしてしまった。
被造物の中で最も優れた神の似姿として作られた人間が、かえって被造物すべての存在を揺るがし脅かす存在となっていたとは、何て空しいことだろう。

にもかかわらず、パウロは、「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」とは恐れ入ってしまう。
『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。』
わたしたち人間として、神の創った秩序を乱していることへの気づきがなかったことへの反省が迫られる。

十字架の上で息絶えようとしているときに、天の父に執り成してくださったイエスのことば「父よ、彼らを赦してください。彼らは自分が何をしているのか分からないのです」に信頼して、どうか、主イエスの言葉を深く悟ることにできる知恵をいただき、み心に従い希望をもって生きることができますように祈ります。

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