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2020年7月20日 (月)

イエスの示したしるし

7月20日 年間第16月曜日

 ミカ書。「人よ、何が善であり主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛しへりくだって神と共に歩むこと、これである。」

神がイスラエルの民に求めていること、それは上記のように、「正義を行い、慈しみを愛しへりくだって神と共に歩むこと。」

ナザレのイエスはこの言葉を地上に生活において実行した。数々のしるし、癒し、悪霊の追放もその実行の実例であった。しかしユダヤの指導者たちはイエスを受け入れない。それどころが、彼を悪魔付き扱いにさえしてしまう。

ヨナ書では、ヨナが三日間大きな魚の中に飲み込まれていたとある。これは三日目に復活したイエスの前表であろう。ヨナの説教を聞いて異邦人のニネベの人は悔い改めた。

ソロモン王に時、南の女王が遠路わざわざソロモンを訪ねてきてソロモンの知恵を確かめた。知恵は裁きのために知恵。その女王も裁きの時に彼らを罪に定めるだろう。

これは、イエスのしるしを見ても律法学者、ファリサイ派はイエスを信じなかった。彼らはニネベの人々や御の女王にも劣る不信仰者だ、という意味だろうか。

閑話休題、ともかく、神の慈しみを実行したイエスを「神からの人」であると認めない律法学者・ファリサイ派への非難の言葉であろう。

 

第一朗読  ミカ書 6:1-4、6-8

聞け、主の言われることを。立って、告発せよ、山々の前で。峰々にお前の声を聞かせよ。聞け、山々よ、主の告発を。とこしえの地の基よ。主は御自分の民を告発しイスラエルと争われる。「わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか。わたしに答えよ。わたしはお前をエジプトの国から導き上り奴隷の家から贖った。また、モーセとアロンとミリアムをお前の前に遣わした。

何をもって、わたしは主の御前に出で いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす献げ物として当歳の子牛をもって御前に出るべきか。主は喜ばれるだろうか幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を 自分の罪のために胎の実をささげるべきか。人よ、何が善であり主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛しへりくだって神と共に歩むこと、これである。

 

福音朗読  マタイによる福音書 12:38-42

(そのとき、)何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」

 

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コメント

神がイスラエルの民に求めていたのは、「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」だった。 このことをイエスは地上の生活において実行したが、安息日に対する考えの違いや、癒しや悪霊の追放など行ったことが神への冒涜だとされて、律法学者やファリサイ派の人に非難された。イエスは、神からの人である、ことを認められなかったのだった。
殺害が相談されているのを耳にしたイエスの気持ちをあらためて思います。
イエスの信仰を支えていたのは、ミカ書にある神のことばや、マタイによる福音書にある、ヨナの、三日三晩大魚の腹の中にいた話などだったのでしょうか。 聖書のとても大切な個所をお教えいただいているように思います。
 

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