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2020年8月 8日 (土)

悪についてのささやかな考察 その二

創世記1・31 極めて良かった についてのささやかな考察(独り言)に続き、中高でならった東洋の思想、性善説と性悪説をあらためて勉強してみましょう。以下のファイルを参照ください。

 

ダウンロード - e682aae381abe381a4e38184e381a6e381aee38195e38195e38284e3818be381aae88083e5af9fe3819de381aee4ba8ce680a7e59684e8aaace381a8e680a7e682aae8aaace381abe381a4e38184e381a6.docx

 

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コメント

大司教様!!
ありがとうございます!!
早速、質問してきた例の信徒にこのブログのリンクを送りました。
嬉しい気持ちはもちろんですが、
大司教様の仕事の早さにびっくりしました、笑。

「何で悪が存在するのか」について私の個人的な考えですが、
「黒があるから白が分かる」
「悪があるから良いものが分かる」みたいに私は悪を知ったり、苦しかったりしたときに初めて救いを求めてしっかりと神様の方を向けた気がします。だから、私みたいに警戒心がない人間にとっては必要悪だったのかな、と思います。なぜなら、悪の存在を知った今の方が信仰心は強いからです。

悪が存在することを理解して、警戒して、
しっかりと神様やイエズス様にしがみついていれば悪はそんなに怖い存在にもならないとも思っています。
神様のもとでは悪は取るに足らない存在です。むしろ不安や恐れは悪霊の大好物ですから。

大司教様も悪いものに目を向けないで、
大司教様を待っている私たちの方を向いて回復して欲しいです。


創世記第Ⅰ章での創造を完成されるまでの肯定的な神とうって変わって、第⒉章からは人間の堕落を嘆き、地上に人間を造ったことを後悔する神のことばがとても強く響いてきます。けれども見捨ててしまうことはされなかった。神が御心に、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは幼い時から悪いのだ。わたしはこの度したように生き物をことごとく打つことは二度とすまい」と言われていて、神の複雑な思いが伝わってきます。パウロの人類の罪を弾劾する具体的で容赦のない言葉にも圧倒されますが、「キリスト教では、人間は本来善であるが堕罪の結果、生来悪に汚染された存在となっている」、とお話していただいて、もやもやしているものが晴れる感じがします。救いへの希望へつながります。 
孟子の性善説と荀子の性悪説についても、現在の私たちに身近なものに感じました。自分の心の傾向としては、荀子のことばに惹かれました。 学校時代に触れただけのことについて学ぶ機会を与えていただきありがとうございます。

孟子と荀子は儒学者であり、中国・韓国の文化と思想の影響を色濃く受けてきた日本でも人々の生活に深く浸透し影響を受けてきたことを思います。
善悪を知り、社会での秩序を保つための上下関係での礼儀などを重んじてきた武家社会では特に厳しかったかったと思います。
しかし、『身分が同じで欲求や好みが同じであり、物品がその欲求や好みを充足させられなければ、きまって争奪が起こる。争奪が起これば決まって混乱し、混乱すれば行き詰まる。先王はその混乱をにくんだ。そこで礼による秩序を定めて区分を設け、富貴貧賤の等級をつけ、身分の上の者が下の者に臨めるようにした。これこそ天下の人々を大切にする根本である。
 ((『新書漢文大系25 荀子』、藤井専英著/井ノ口哲也編、65㌻より。)』
にあるように、儒教は身分制度を作り上げ、同身分との交流や結婚などにより、差別や抑圧を受け、はたまた奴隷のような身分となり弾圧などの憂き目にあう下層階級もいたことになります。また、それは中国や韓国でもそうであったようです。政治的権力を持つ施政者にとっては非常に都合の良い制度であったといえるかと思います。

神の似姿として神の創造による人間は、本来あるべき人として生きるよう神に望まれていると信じるものにとって、イエス・キリストの教えは、一般的に説かれる言葉「自由・平等・愛」に要約されるかと思いますが、それは下層階級のものにとって素晴らしい言葉だったに違いありません。
今、イスラム教徒の信徒が日本でも増えているとの情報も聞かれます。もとはといえばキリスト教もユダヤ教徒であるイエス・キリストから始まりました。イスラム教も同じ唯一の神を信じる者たち。いくら自分はキリスト教といっても、神の掟に従わずに生きていくなら、信者とは言えなくなります。
すべての罪を赦し、罪からの解放を告げるイエスに、真の神を見出すことができますように祈りたいと思いました。

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