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2020年8月 9日 (日)

西田幾多郎の『善の研究』について

悪について考えるからには有名な西田幾多郎の『善の研究』を取り上げざるを得ない。ああ、難しい!良くは分からない。さらに続編の勉強しなければならない。今やらないと一生しないだろうから今日明日と頑張ります。以下、悪について・・・その三です。

『善の研究』について

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コメント

「人が自分の天性自然を発揮することが人間の善であり、自己固有の性質に従って働く徳の結果である」
「真の善とはただ一つあるのみであり、それは真の自己を知るということに尽きる」
「意識の統一力と宇宙の根源的統一力との一致」

よくは理解できないままに、こういったことばに心動かされる、動かされてきた、私がいます。

聖書で語られていることと通じるところがあるようにも思いますが、根本的なキリスト教での創造主、神との契約、、といった神と人間との関係についての考え方の違い、ということは、私にとって引っかかるところです。

司教様の思索の広い裾野の拡がりに、お供させていただいています。


大司教様
元気になりましたね!!
ブログから、文章から、伝わってきます。

やっぱり大司教様が前向きで元気だと嬉しいです!!

善とは何か、人間の本性とは、人格の実現とは、神とは、そして、つまり悪とは何か?
『善の研究』をていねいに解説していただいて、またキリスト教とも比較してお教えいただきましたのでやっと結論にまでたどり着くことができました。正しく理解できているかは自信がありませんが嬉しいです。
善とはわれわれの内面的欲求である理想を実現すること、人間の意志の発展完成であり、自己を滅却することによって自分の天性を発揮することである。その前提となるのは、純粋体験、主客合一の体験である。その根底には、統一的普遍的な存在の働きがある。それは神であると述べているように思われますが、(西田哲学は)神は宇宙の外にあって外から宇宙を支配している人格的な存在ではない、創造主でもない、と主張している点でキリストの神とは異なっていることがわかりました。
悪については、絶対的に悪というべきものはない、物はすべて本来において善である、と述べているようですが、よく理解できませんでした。
これに対して聖書の毒麦の譬えの悪はよく理解できるようになりました。

西田幾多郎及び善の研究の大層奥深い考察に、難解と思いつつも読み進むうちに、
『真の自己を知るとは人類一般の善と一つになることであり、神の意志と一致することとなる。しかし、真の自己を知り神と合するには、主客合一の力を得なければならない。そのためには、自分の偽我を殺し尽くしてこの世の欲に死んで蘇るのでなければならない。(第十三章 完全なる善行 四、より)
此処にいたって西田哲学は著しく宗教的・キリスト教的になる。』
に至り、深く感じ入りました。
というのは、「キリストに出会うことは、ほんとうの自分に出会うことだ」という言葉に重なってきたからです。
私の思いをここに述べるには長くなりますので差し控えますが、創世記の天地創造の混沌とした状態にある心の闇を彷徨しているとき出会った言葉は、復活の意味をも理解することにもなりました。
「人は何のために生きるのか?」
それを自問自答しながら「今を生きる」を日々繰り返し、一日一日を新たに生きることを学びたいと思っております。
いつも根源的な問いを投げかけてくださることが、わたしの日々のいのりとなっていることをお伝えし、感謝申し上げます。

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