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2020年10月17日 (土)

悪についての小考察その9 「さびしさ」と「かなしさ」の中で

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コメント

牧水の歌に美しく詠われているさびしさや哀しさは、今も変わらず誰にでもある感情だとあらためて思いました。さびしさの中には、人の心と触れ合いたいという思いや融け合いたいという感情がある、そして、自分を認めてもらいたいという憧れが存在していて、それは、恋する片割れが片割れとして自覚する感情でもある。自分の唯一性に目覚め相手に問題や欠点があっても萎えることのない思いを抱くようになる。かけがえのなさという価値に目覚めるということでは、恋は神の愛、アガペーに似ている。人間の真の価値はこのかけがえのなさにある、と教えていただいていると思いました。
神の愛については、聖書の多くのことばを通してお教えいただき、これまで理解できていなかったことや疑問に思っていたことが分かるようになり嬉しく思います。
教皇フランシスコの慈しみ特別聖年のための祈りのことばは、大切な祈りとして、日々祈りたいと思います。
黙想会講和には大切な言葉が多く籠められていると思いながら拝読いたしました。特に慈しみを実行するということについて具体的にお教えいただいていること思います。

前回から続けて近代日本の愛についての考え方を、九鬼周造や宮野真生子の研究を通して詳しく紹介していただき、とても興味深く感じました。特に有島武郎についての考察は印象に残りました。今、こういったことを通してキリスト教の神の愛をよりよく知ることが出来るようにお導きいただいているのだと思いました。

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