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2020年11月 8日 (日)

年間第32主日A年説教

年間第32主日A年説教

 説教

待降節が近づくと主日の福音朗読は主の再臨を告げる箇所が読まれます。今日の福音朗読はマタイの福音の25章の、「十人のおとめ」のたとえです。このたとえ話は、主イエスの再臨について述べ「目を覚ましていなさい」との警告を伝えています。この譬えの背景はパレスチナ地方の結婚式の習慣です。(花嫁さんを近所の人々が喜び迎えという習慣はおそらく多くの国で行われてきました。子どもたちまで道に出て花嫁が来るのを待ち受ける言う場面が千葉県の房総半島でもごく最近まで行われていたと記憶します。)

花婿は花嫁の家に来て花嫁を迎えて自分の家に連れて行くのですが、その時が何時であるのか分からないのです。十人のおとめはいつも目を覚まして、いつ花婿が来てもお迎えできるように準備していなければならないおのです。そのためにその時が夜なかであっても灯をともすための油が必要でした。五人のおとめは油を準備していましたが五人のおとめは油を切らしてしまい、油を持っているおとめに分けてくれるように頼みますが断られてしまします。意地悪をしたのでしょうか。いや、そうではありません。主の再臨の時に用意すべき油とは、他の人が変わってしてあげることのできないものです。各自がそれぞれ負っている責任を意味しています。誰でも他人に代わってもらえない人生の役割・義務・任務があります。代替性の効かない責務が与えられているのです。いつでもその時が来たら報告し釈明できるように準備していなければなりません。

この譬えは主の再臨の話ですが、個人の終末にも当てはめられるべき、譬え話です。人の最後はいつ来るでしょうか。思いがけない時に来るかもしれないのです。人は厳しい裁きをどう迎えることができるでしょうか。この点についてパウロはわたしたちに希望を与えてくれます。第二朗読テサロニケの信徒への手紙は、おそらくパウロが残した最初の新約聖書であり、紀元50年ころの作成と推定されています。つまり福音書の成立から20年以上前、イエスの処刑からわずか20年しか経っていないときであると考えられるのです。

パウロはこの手紙で復活への希望を述べています。主の来臨の時、キリストへの信仰のうちに亡くなった人は復活の恵みに与り、そのとき地上に留まっている者は雲に包まれて引き上げられ、いつまでも主とともにいることになります。これは主の復活の恵みに与ることを意味していると思います。

 

《主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。》

 

初代教会の人々は主の再臨はま近いと信じていましたが再臨はありませんでした。今日のわたしたちは、この教えをどう受け取ったらよいでしょうか。わたしたち個人は必ず地上を去る時を迎えます。そのときに救い主であり最後の審判者であるイエス・キリストの前に立つとになるのです。その時が何時かわかりませんが必ずその時が来ます。その時に備え、復活への信仰を新たにし希望をもって主を迎えるようにしたいものです。

第一朗読の知恵の書は言っています。

 

知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、知恵を思って目を覚ましていれば、心配もすぐに消える。

「知恵」は聖霊の恵みを思わせます。いつも信仰を保って目覚めていることができますように聖霊の恵みを祈り求めましょう。

 

 

第一朗読  知恵の書 6:12-16
知恵は輝かしく、朽ちることがない。知恵を愛する人には進んで自分を現し、探す人には自分を示す。求める人には自分の方から姿を見せる。
知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに自宅の門前で待っている知恵に出会う。
知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、知恵を思って目を覚ましていれば、心配もすぐに消える。
知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、道でその人たちに優しく姿を現し、深い思いやりの心で彼らと出会う。

第二朗読  テサロニケの信徒への手紙 一 4:13-18
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
《主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。》

福音朗読  マタイによる福音書 25:1-13
(そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。)「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

 

 

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コメント

これまで、わたしたちはキリストの再臨によって完全に悪から解放されるということをお教えいただいたと思いますが、このお説教では、主の再臨を迎えるための備えについて丁寧にお導きいただきました。「目を覚ましていなさい」 は信仰についての大切なたとえ。いつも信仰を保って目覚めているように、そうすることによって希望をもって主を迎えることができる、ということ、そしてこのことは、わたしたちにも他の人が代わることのできない役割、義務、任務があるという人生の最後にも当てはめられる、ということを教えていただきました。日々の暮らしの中での自分の振る舞いや行動をふりかえる機会にもなりました。パウロのテサロニケの信徒への手紙によって、『主の再臨』のようすを思い描くことができ、また。「知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、道で、その人たちに優しく姿を現し、深い思いやりの心で彼らと出会う」 と記されている知恵の書ことばが印象に残りました。聖霊のことばでもある。 
「…私たち個人は必ず地上を去る時を迎えます。その時に救い主であり最後の審判者であるイエス・キリストの前に立つことになるのです。その時が何時かわかりませんが必ずその時がきます。その時に備え、復活への信仰を新たにし希望をもって主を迎えるようにしたいものです」、というお言葉を何より大切にしたいと思います。

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