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2018年10月26日 (金)

あなたに語りたい その4

ダビデの不思議、世間へのお詫びはないのか?

ミケランジェロの彫刻ダビデ像は誰でも知っている。敵の豪傑を石投げで仕留めたときの勇姿だろう。

そのダビデは王に推戴されたがととんでもない大罪を犯した。美しい部下の妻を奪いその夫を死に至らしめた。旧約聖書サムエル記はその次第を詳細に記している。だからイスラエルの民は皆彼の犯罪を知っている。そのダビデが残したという祈りが有名な痛悔の詩編51.ひたすら神へのお詫びを繰り返す。神よ、わたしはあなた向かって罪を犯しました。わたしを清めてください。・・・

神からの赦しは助言者を通して与えられたといういうが。

それでは関係者への謝罪はどうなったのだろうか?企業の幹部が記者会見でそろって頭を下げてお詫びします、という場面が日本では一般的。世間、社会への謝罪が第一とされる。この違いをどう考えたらよいだろうか?誰にもばれなければ知らぬふりをしていても心は痛まないのか?お天道様がみているという昔の教えはどうなったのか?

この辺にキリスト教の宣教の難しさがあるのでは?

2018年10月22日 (月)

あなたに語りたい その3

神は、ラテン語では、DEUSです。キリシタンの時代、DEUS(ラテン語)の日本語への翻訳に困ってしまったのです。日本に来た福音宣教者たちはよく日本語がわからないうちに、どういう日本語で説明したらよいか、きっと悩んだのでしょう。色々やってみたようですが、「神」という表現は誤解されるので、結局「デウス」という表記に落ちついたたようです。

日本では、神というと、いろいろな神を指しています。八百万(やよろず)の神がいるとも言います。人間が神になりえます。特別な力を持った人、そして、亡くなった人が生きているわたしたちの上に及ぼす、 良い力、悪い力、そういうものを持っている存在が神と呼んでいます。例えば、菅原道真が天神として祀られるようになったのですが、それは、政敵の藤原氏に貶められて、讒言されて、左遷されて、裏切られて亡くなったので、その怨みが残っているから、色んな災害が起こるのだ、という考えによるらしい。「どうぞ怨みを捨ててください、お鎮まりください」という願いを込めて神社を建てて、菅原道真の霊を宥める というように考えた結果であるとされています。 色んな神がいるので、わたくしは、神社に行ってときに、この神社はどういう神が祀っているかなと掲示で確かめてみるけれど、現代の人はほとんど誰が神として祀られているか、には関心がない。でも一応調べてみると、大宮の氷川神社の場合、祭神は、

須佐之男命(すさのおのみこと)

稲田姫命(いなだひめのみこと)

大己貴命(おおなむちのみこと)

となっています。注4

それなのに、なぜキリスト教の神を「神」と訳したのか。もう今更どうにもしょうがないのですが、「神」という言葉が、わたしたちの神理解に誤解を与えているのかもしれないのです。「神」という言葉は誤解されやすい言葉です。でも、どう誤解して言いるのか、をわたしたちは説明できるでしょうか。その理由も説明が難しい。 

 

2018年10月21日 (日)

あなたに語りたい その2

わたしにとっての神とは?

神は自分からあなたに語ってくださる神です。

 

 「神―わたしにとって神とは?」というテーマをいただきましたが、何を話したらよいか、かなり困っております。皆さんの学び合いの材料、あるいは何かの足しになればよいかなと思います。 わたしたちは神を知っていますが、この神はキリスト教の神、イエス・キリストが教えてくださった神であります。イエス・キリストの教えてくださった神は、すでにイスラエルの人々が信じていた神と同じ神様です。同じ神様ですけれども、そこに信仰の発展がある。そして、イエスが地上を去るときに、わたしたちの教会がつくられ、教会が残されました。教会は神を信じる民として、世界中に宣教しているわけであります。 ところで神様というのはどういう方か、人間にはわからない、よくはわからないわけです。人間には神は分かりません。分かるといえば、その人が神様になってしまいます。しかし、全くわからないというわけではない。神の働きは被造物の中に反映されているので、世界の中に在る信・善・美を通してある程度は神を知ることが出来るはずです。そして神を信じて生きている人々の中に神の姿が反映していると信じます。

しかしなと言っても、被造物である人間には神様は神秘です。人間には神のことがよくわからない。わからないから、あちら側から、神様のほうからわたしたちにご自分をお示しになる。こうだよ、ああだよと。それが長い歴史の中で少しずつ、小出しにというか、教えてくださっている。一度に教えても、とてもわからないだろう、受け入れられないだろう、ということで、何回も色んな機会に、色んな人 を通してお示しになったのだと思います。 わたしたちの神は信仰の神、人が信じている神、なんですけれども、その前に、頭で考える神という場合があります。それは、哲学者が頭で考えて、神とはこうだ、ああだと考えた神です。しかし、聖書の神は頭で考えた神ではなくて、神様のほうから人 間に語りかけて、御自身を示してくださった。そういう神様ですね。

あなたに語りたい、励ましの言葉 その1

あなたというよりまず自分自身への励まし、と考えて始めます。

世界中に福音をのべ伝えること、イエスの弟子を造ることは、復活した主イエス・キリストから弟子たちが受けた教会の使命であるります。

この日本にも1549年にフランシスコ・ザビエルによってキリスト教が伝えられたことは、日本史上の重要な出来事でした。キリスト教は一時多くの人に受け入れられましたが、間もなく時に支配者によって禁止され、長い禁教時代が続きまた。明治時代になって再宣教が行われ、素手の100年以上が経過しています。多くの優れた、よく養成された福音宣教者が多数日本に派遣されました。それにも関わらず、キリスト教はごく一部の人日の心をとらえているにすぎません。他方、教育、福祉、医療の分野では評価されるべき実績を上げています。

日本は非常に治安のよい国です。しかし人々の心には何かの閉塞感が宿っているのではないでしょうか。

このような社会状況で、宗教者の果たすべき役割が期待されています。