あなたに語りたい その4
ダビデの不思議、世間へのお詫びはないのか?
ミケランジェロの彫刻ダビデ像は誰でも知っている。敵の豪傑を石投げで仕留めたときの勇姿だろう。
そのダビデは王に推戴されたがととんでもない大罪を犯した。美しい部下の妻を奪いその夫を死に至らしめた。旧約聖書サムエル記はその次第を詳細に記している。だからイスラエルの民は皆彼の犯罪を知っている。そのダビデが残したという祈りが有名な痛悔の詩編51.ひたすら神へのお詫びを繰り返す。神よ、わたしはあなた向かって罪を犯しました。わたしを清めてください。・・・
神からの赦しは助言者を通して与えられたといういうが。
それでは関係者への謝罪はどうなったのだろうか?企業の幹部が記者会見でそろって頭を下げてお詫びします、という場面が日本では一般的。世間、社会への謝罪が第一とされる。この違いをどう考えたらよいだろうか?誰にもばれなければ知らぬふりをしていても心は痛まないのか?お天道様がみているという昔の教えはどうなったのか?
この辺にキリスト教の宣教の難しさがあるのでは?
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