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心と体

2015年2月11日 (水)

世界病者の日

2015年世界病者の日・説教

2015211日、東京カテドラル

 (説教)

今年は「世界病者の日」です。日本では、建国記念日ですが、カトリック教会ではルルドの聖母の日であり、聖ヨハネ・パウロ二世はこの日を「世界病者の日」と定められましいた。

病気は誰にとっても大きな苦悩の原因です。

本来神の創造の傑作である人間は、神との親しい関係にあり、心も体も健やかでしたが、神との親しさを失った時、死と苦しみがすべての人類に侵入してきた、と考えられます。

わたしたちの救い主イエス・キリストは実に癒すかたでした。きょうの福音はイエスが宣教活動の初めの頃のある一日、カファルナウムで行った、神の国の到来を告げ知らせる働き、を簡潔に述べています。

イエスの宣教には病人の癒しと悪霊の追放が伴うのが常でした。会堂で悪霊を追い出したイエスは、その後シモンとアンデレの家に行き、シモンの姑が熱を出していると告げられと、すぐに姑のところに行って彼女を癒しました。彼女の手を取り、彼女を起こします。ここに、イエスの悪に打ち勝つ力があらわれています。

「イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」(マルコ134)とマルコは述べます。

イエスは病気の苦しみを担う人や体の不自由な人に深い関心を寄せ、深い教会を持っていました。イエスは言われました。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2179

イエスが罪人に対して取った態度は病人や体の不自由な人に対して取った態度に重なります。病人や体の不自由な人を優先させることがイエスの基本的な生き方でした。イエスは安息日のおきてを破るという非難を覚悟した上で、手の萎えた人を癒し、律法学者やファリサイ派の人々を敵に回してしまいました。(マルコ31-6) 

教会はこのイエスの癒しの働きと使命を受け継いでいます。復活したイエスは弟子たちに言われました。

「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。 信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」(マルコ1616-18)

イエス・キリストが宣教活動で何をしたかといえば次の事柄にまとめられます。

「神の国の福音を宣べ伝え、病人を癒し、悪霊を追い出し、

ご受難において人々の苦しみ悲しむ病を背負い、

人々の贖いを成し遂げ、死を滅ぼして復活の世界に入られた。」

今日の第一朗読は、イザヤ53章の主の僕の歌です。ここで「彼が担ったのはわたしたちの病」といわれています。この主の僕は主イエスの前触れです。イエスはわたしたちの病と罪を背負って十字架にかかられたのでした。わたしたちも兄弟姉妹の苦しみと病意に寄り添い担うよう招かれています。わたしたちは自分自身から出て病気で苦しむ兄弟姉妹のもとのに赴き、寄り添いながらともに苦しみを担うようでありたいと思います。わたしたちは、忙しさに追われているために、・・・自分自身を無償で差し出すこと、人の世話をすること、自分は他者に対して責任があることを忘れがちです。(これは今年の「世界病者の日」の教皇メッセージで教皇様が言っておられることです。(教皇メッセージ、4を参照)

神はすべての人の健康を望んでおられます。健康は神の救いの惠であり、神の霊の賜物です。聖書の言う「平和(シャローム)」は完全な健康を意味していると思います。

人間が平和で満たされる時、それは創造の完成の状態です。それは神の霊=聖霊による癒しと贖いを受けた状態です。

わたしたちはキリストの再臨により、わたしたちは完全にすべての悪から(罪、病気などから)解放され、キリストの復活の体に与ります。そのときが、霊的にも聖霊による平和に満たされた健康に与るときであると考えます。

すべての人の救いと健康のために祈りましょう。