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日記・コラム・つぶやき

2018年12月14日 (金)

大酒飲みのイエス

今日は十字架の聖ヨハネの日。今日の福音はとみると

 

ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

 

ちょっと困った。大飯喰らいの大酒のみのイエスと十字のヨハネ。どういう関係?

若いころ十字架のヨハネにあこがれ、「カルメル山登攀」「霊の賛歌」など読んだものだ。どれだけ理解しただろうか?今は、「お酒飲み」と悪口を言われたイエスにホッとする。ところで「知恵の正しさ」とは何だ?十字架は神の知恵ではないか。人には愚か、躓きだとパウロも言っている。イエスの生涯は十字架と復活。人々にはそれが見えなかった。自分を否定してイエスの十字架を担うようイエスは求める。その求めに従ったカルメル会の修道者。霊性の手本が十字架のヨハネ。自分を捨てるとは自分の栄光を求めない、自分の支配を放棄する、自分のものは一切持たない、という道。それがお前にできているのか?出来ていないね。

2015年1月29日 (木)

原罪

今日2015年1月29日午後近所の散髪屋さんに行く。テレヴィの音声を聞きながらやってもらう。イスラム国の捕虜となっている日本人ジャーナリストの第4のメッセージの分析が報道されていた。29日日没までの回答を迫るという内容。その日没が刻々近づいている。気が気ではない。
それにしても中近東でどうしてこのような惨い事件が起こるのだろうか?でも惨劇は中近東だけに起こっているわけではないだろう。
どうして同じ人間同士がこのように殺し合いいたぶり合うのか?
キリスト教でいう原罪状況をつくずくと感じてします。

2015年1月24日 (土)

北原怜子さん尊者に

明日潮見教会でミサ、北原怜子さんの話をするのでinternetで調べていたら、北原怜子さんの帰天日1月23日に列聖省より北原さんが尊者になる承認をフランシスコ教皇から前日22日に得ていると発表されていることを知りました。よかった、知らないで行ったら恥ずかしいことになった。

北原さん帰天はまだ57年前のこと。神のはしためエリサベト・マリア・北原怜子は世世界的に有名で、蟻の町のマリアとして知られ、前教皇大使アルベルト・カステッロ・ボッタリ大司教煮、蟻の町のマリアのお墓はどこだ、と聞かれてすぐには応えられなかったことがありました。多磨霊園ですね。
列聖と言う制度に疑問を呈するむきもありますが、彼女の生き方が多くの人に知られ、日本の人々がより簡素で性的に節制する、思いやりと犠牲心に富んだ生き方をするようになることを切望します。

2015年1月21日 (水)

イスラム国

インターネットの時代、善いことも悪いことも、一瞬で全世界に広がる。

イスラム国からの脅迫の情報!20年前なら可能か?恐ろしい時代なり。

2010年12月12日 (日)

部落差別とわたくし

 さいたま教区部落差別人権委員会2010年待降節講演会講演要旨
 -部落差別とわたくし―                                     
               さいたま教区本部事務所にて、2010年12月11日
 1991年復活祭の日に東京教区で部落問題委員会が設立され、岡田が初代担当司祭に任命されました。しかしまもなく浦和教区の司教に任命されたため、浦和教区に移ることとなりました。
 1987年に行なわれたNICE=1の提案に取り組むプロジェクトチームの一つ、濱尾司教を委員長とするチームでは『ともにだれと』(上下)という冊子を編集し、日本におけるマイノリティーの問題を取り上げました。 マイノリティーの筆頭に上げられているのが被差別部落の人々でした。 橋本瑠璃子シスターは被差別部落の人であり、自ら自分の出身を告白し、部落差別克服のために生涯をささげて いる人です。そのシスターは言っています。 「一般社会と同じく教会のなかでも、差別性に満ちた言葉と態度に接するとき、差別を受けることを知りながら、どうして本名を名乗り、部落宣言することができるでしょうか。」
 教会のなかでも、部落の人であることがわかればどの様な蔑み、辱め、どのような虐めを受けるか分からない。どうして、部落民であることを名乗れるでしょうか、というのです。自分の出身を隠さなければならないとは何と悲しいことでしょうか!
 人はだれでも知られたくないことがある。結婚、就職・・・などに際して知られたくない事情があります。家族にハンセン病者、精神障害者がいる場合も、あまり知られたくない場合でしょう。家族のなかに犯罪者がいる場合もそうかもしれません。しかし自分自身には何の問題でもないのに自分の出身を隠さなければならないとはなんと不条理なことでしょうか!
 しかし他方、自分が告白するのは自分の責任であるとしても、その結果は家族などの関係者に及んでいくことに なります。自分だけかっこうよく告白しても、その結果、累が家族に及んでは、家族はやりきれない、ということがあります。
 司教団の部落問題委員会委員長をしていたといに、『昌男の日記』という啓発ヴィデオに出会いました。 大阪の小さな商事会社の部長、前田とその弟、昌夫の話です。昌夫は交通事故で死亡し、妻かずえさんと二人 の子どもが残されました。かずえさんは被差別部落出身、調理師の資格を取り給食センターに就職、そこでいじめと差別をうけることになりました。
 兄はかずえさんをかばい助けますが、気がつくと自分の差別者になっていることに気がつき愕然とする。前田の子どもとかずえさんの子どもはいとこ同士であるので一緒に近所で遊んだりします。近所の人がその辺のことでうわさをする。前田は興奮して、「うちは違う」といってしまいました。それはかずえさんの子は部落の人だが自分の子は違うのだ、という意味に他ならないのです。  東京教区の部落問題委員会は司祭のために啓発ヴィデオ『絹の道の宣教』を編集し製作しました。司祭は結婚などの問題で信者から被差別別部落について相談を受けることがあります。そこであらかじめ被差別部落にいて学習しておく必要がある、そのために教材として長い年月、多分10年くらい、をかけ、多くのエネルギーを使って製作しました。ヴィデオはまず社会福音化部門担当司祭に公開され、ついで、司祭月例集会のときに、ヴィデオの前半が上映さ れ、解説が行なわれた。
 今回DVDに編集するにあたらイ、その一部を一般公開することとし、すでに、先日、麹町、町田、松戸の3教会で試写会が行なわれた。
 1873年(明治6年)、キリシタン禁制の高札が撤去され、キリシタン宣教が黙認されるようになりました。 横浜でキリストの福音に出会った三好(せんぞう)という青年が友人の山上卓樹にその喜びを伝えた。山上青年は横浜に出てきてパリ外国宣教会のテストヴィド神父から福音を聞き、洗礼を受けました。山上は多摩の故郷に神父を招き、人々への教えを請い、自らも福音宣教者となって宣教しました。福音は「燎原の火」の火のように広がり、多くの人がキリスト者となりました。ちなみに山上は被差別部落の人でありました。すべての人は神の前に平等であり、神はすべての人を愛しすべて人を救ってくださる、という福音のメッセージが被差別部落の人々の心をとらえたのであります。
 わたしはDVDの一部を公開するにあたり、八王子教会の司祭、信徒代表に見てもらって意見を聴取した。教会の反応はどちらかといえば否定的でした。
 「『部落、部落』といわないでもらいたい。一人の青年が福音に出会って信者になり、そこから八王子の教会が始まった。それで充分ではないか。それは歴史上の事実である。しかし、そこが部落であったこという必要はないではないか」、 という感想でした。その問題に触れないで、そっとしておいてもらいたい、ということだろうと思われます。これはいわゆる「寝た子を起こすな」という議論になると思います。分からないでもない、意見です。 他の差別でも同じだが、被害者としては、そっとしておいてもらいたい。そのうちに世間は忘れてくれる。わざわざ思い出させることはない、と思う。言われるとかえって傷つく、ということがあります。でも差別は黙っていればなくなるのでしょうか? わたしたちは犯罪者として磔刑にかけられたナザレのイエスを教祖と仰いでいる宗教団体です。十字架という事実が信仰の根拠です。 わたしたちはミサで毎日イエスの死と復活を記念しています。
 個々の信仰共同体にもその起源があり、それは当時の人々の大切な信仰体験です。  イエスは当時罪人とみなされていた徴税人と食事をし、娼婦を受け入れ、ハンセン病者を癒し、サマリヤ人の女性に話しかけた。当時蔑まれ嫌われ避けられていた人々と接しともに過ごすということは彼らの仲間になることを意味すします。彼らと同じように差別されは排斥されることになります。ここの差別の難しさがあると思います。自分だけ安全なところにいて、弱者に救いの手を差し伸べるのでは、差別の解決にはならないのではないでしょうか。自分も同じように苦しまなければならないのではないか。被差別者の被害を自分のものとすることにならなければならないでしょう。
 イエスは弟子たちに、自分の十字架をもってついて来るのでなければ自分の弟子ではありえない、といわれました。イエスの弟子になるとは、差別された人々の苦しみを共にすることになります。自分が部落の人だと名乗るならば、親兄弟も部落の人だということを知らせることにつながります。勝手に自分の生き方を家族に押し付けていいだろうか、という問題が生じます。確かに、一緒に苦しんでくれるという諒解があることが望ましいでしょう。 教会とは、イエスの十字架を一緒に担うという諒解をしている共同体ではないだろうか。差別の苦しみをともに担う仲間の間には差別はありえません。教会はともに苦しむ仲間つくりの団体ではないだろうか。皆が差別のことで一緒に苦しめば差別は結果的には解消するのではないか。「皆で渡れば怖くない」とよく言いますが・・・。
 この機会に差別と区別の違いについて考えてみましょう。
 「くせに」ということばがあります。「女のくせに」『男のくせに」の「くせ」です。男ではあるが実は男としてなっていない、いわば男の「奇形」「できそこない」だという意味ではないか。ここに差別性が感じられます。違いをはっきり認めないこと、個々の価値を大切にしないところから差別が生まれるのではないだろうか。同じ人間であるということと、ここの人間は固有の存在である、ということの両方が認められなければならないと思うのです。

2010年12月11日 (土)

部落差別

今日はさいたま教区で部落差別についてお話をしますが、問題の難しさを感じています。
差別とは何か?
「寝た子を起こすな」にどう答えるか?
イエスから何を学ぶか?
よい発見がありますように!

2010年12月 9日 (木)

待降節第2木曜日

イザヤの預言41・13-20
「わたしは不毛の高原に大河を開き 谷あいの野に泉を涌き出させる。荒れ野を湖とし 乾いた地を水の源とする。荒れ野に杉やアカシヤを ミルトスやオリーブの木を植え 荒地に糸杉、樅、つげの木を共に茂らせる」砂漠のような東京がこのような緑の豊かな憩いの地になって欲しい。
マタイ11・11-15 洗礼者ヨハネは現れるはずのエリヤである。エリヤのは激しさ、厳しさをヨハネは再現する。イエスは激しくファリサイ人、律法学者を非難する点でエリヤと似ているが、磔刑にかかる点がエリヤとまったく異なる。

石川 倉次

2010年12月9日

点字図書館の役員会。議事進行早く、会議終了時に日本点字の考案者石川 倉次は自分と同じ鶴舞小学校の卒業生だあることを披露、一堂笑顔でうなづく。
帰宅後門間師と、東京医科大学病院にネラン師と佐久間師を見舞う。二人とも気分良好でお話伺いよかった。