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平和

2017年8月 7日 (月)

正戦と聖戦

正戦と聖戦
わたしたちは平和旬間にあたり、平和について学び、そして平和を実現するものとなることができるよう努め、そのための恵みを求めております。どうしたら平和を実現するものになれるのか。それは主イエス・キリストに聞き従うことであります。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」と主なる神様が言われました。
イエス・キリストは旧約聖書の教えの延長として現れ、そして律法を完成するものとして登場しました。旧約聖書の代表的な指導者であるモーセとエリヤが登場しています。モーセ、そしてエリヤたちによって伝えられた神の教え、神のみ心はイスラエルの人々にとって、どういうように理解されたのか。わたしたち人間は神様のおっしゃることを充分に、まして完全に理解することはできないのであります。神様はその時、その人々が理解できる限りにおいてお話になったのかもしれない。今日のわたしたちから見ると理解に苦しむ、あるいは躓きになるような教えが旧約聖書に出てきます。
その代表的なものは、カナンの征服に際しての、神の言葉ではないでしょうか。「聖絶」とされているのですけれども、聖というのは聖書の聖に、絶滅の、絶対の絶ですね。聖絶という恐ろしい言葉があります。  サムエル記上では、もっとはっきりと恐ろしいことが言われている。「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」(サムエル上15・3)この言葉をどう解釈したらよいか、困難を感じています。
 さて、今日は二つの“せいせん”ということについて考えたい。正しい戦いの「正戦」、聖なる戦いの「聖戦」です。多くの場合、戦争を始める指導者は「正しい戦争」であるということ、そして更に「聖なる戦争」であるということを主張し、それを開戦の理由と動機にしています。聖なるとは神様のみ心に適っているということです。
 しかし、戦争の動機、理由に神様を持ち出すのかいかがなものでしょうか。わたしたち日本の国が行った戦争も、正しく聖なる戦争であると説明され、国民はそう思わされ、協力させられたのであります。教会の歴史の中で、正しく聖なる戦争とされて、多くの人が戦争に参加した。本当にイエス・キリストはそう思い、そういうように命じられたのでしょうか。
 イエス・キリストは、わたしたちが平和のために働くようにと命じられ、そういう人は神の子と言われると言われました。そして、わたしたちを理解しない、わたしたちを排斥する、わたしたちを憎む人々を、いわば敵である人々を赦し、受け入れるようにと言われました。そして、自分の言葉を実行した。なかなかできないことではありますが、新約聖書の教えは使徒パウロも言っているように、「悪に対して悪をもってせず、悪に対して善をもって打ち勝ちなさ」(ローマ12・17-21参照)ということであります。
 正直に言って、そういう教えは何度も聞いているし、承知しているのでありますが、実行は難しいことであります。でも、実行できるように神様が、主イエス・キリストがわたしたちを支え、導き、助けてくださると思います。平和旬間、まずわたしたちの中で、わたしたちの間で平和が確立されていなければならない。わたしたちの間で、互いに赦し合い、受け入れあうという神の愛が実現していなければならないと思うのであります。

2015年7月23日 (木)

安全保障法制の問題点

日本弁護士連合会 シンポジウム「安全保障法制の問題点を考える」

リレートークでの岡田武夫大司教によるスピーチ

 

日時:2015715日(水)18時~20

会場:弁護士会館2階 講堂「クレオ」

 

司会:日本カトリック司教協議会会長、東京教区大司教の岡田武夫さんにお話しいただきます。お聞きしましたところ、日本のカトリック教会は戦前、戦中の戦争への協力を痛切に反省し、戦後50年、60年に平和を守るためのメッセージを出されました。今年は戦後70年にあたり、2月には護憲と平和を守るためのメッセージをあらためて出されたとのことです。岡田さんには日本のカトリック教会の護憲と平和を守るための基本姿勢と今までの活動をお話しいただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

岡田大司教のスピーチ

岡田でございます。今日、このような機会を与えてくださったことを心から感謝申し上げます。

今日、強行採決が行われた。大変残念に思い、また強い不安を感じております。日本国民として、またキリスト者としてわたくしは日本国憲法、その平和主義、9条、そして前文を大変、誇りとして今まで歩んで参りました。カトリック教会は全世界ネットワーク、いろいろな機会に他の国のかたがたとお会いします。もちろん、アジアの隣国、韓国、フィリピン、中国、そして遠い国々の人たち、そしていろいろな機会に「日本の平和主義、日本は戦争をしない国、戦争をしないことを憲法でうたっている。素晴らしい」。それが今、戦争をする国、戦争をしてもいい国になってよいでしょうか。絶対、それはいけないことであります。

憲法9条を改悪して戦争ができるようにしようとしていくのかなと思ったら、今度は集団的自衛権行使という解釈、そしてその解釈に基づいた、戦争ができる法案を通す。多くの国民が理解できない不安を感じている。そして憲法学者も99%の人が反対しているのに、どうしてこの法案を通すのか、まったく理解できないのであります。日本国民として大変残念に思う。

今日はカトリック教会として一言、言うようにということでございます。戦争しない、と、そして隣人を愛する、敵を敵としてではなくて、同じ人間として大切に思うように、それがわたしたちの信じるイエス・キリストの教えであり、聖書全体を貫いている考え方であります。そして、教会の教えの中に、50年前に開かれた第二バチカン公会議という大切な会議がございましたが、このときにわたしたちは自分たちだけのこと、教会の中のこと、あるいはお祈りとか教えとかいうことだけでなく、現代の世界の状態に深い関心を寄せ、そして人々の幸福と平和のために献身しなければならないということを確認したのであります。

戦争をしないということは福音、つまりイエス・キリストの教えから直接出て来る、いたって当然の考え方であります。ところが、残念なことですが、わたしたちキリスト教徒はこの教えをいろいろ、それこそ解釈をして、場合によっては戦争をできる、戦争をしてもよいというようにしてきた歴史があることも思います。ヨハネ・パウロ2世という法王がおりました。大変、偉大なかたであります。このかたが紀元2000年を迎えるに際して、世界中の信者、そして世界中の善意の人びとに書簡を送りました。ご存知でしょうか、ヨハネ・パウロ2世というかたはポーランド人です。若いとき、戦争の中で苦しい毎日を過ごしたかたです。そして、教会は2000年という記念すべき年を迎えるためには、しなければならない大切なことがある。それは反省するということだ。とくに、反省する範囲が非常に長いというか広いのですけれども、この千年間、過去千年を振り返って、どういう点が一番問題であったかということを述べましたが、その中にこの戦争のことが大切なこととして出て来ます。「わたしたちは戦争はいけない、戦争を止めなければならないのにそうしなかった。あるいは、そうなることにはっきり気づかなかった。あるいは、心配なのに何も言わなかった。そして、このような悲惨な結果を招いてしまった。あるいは、招いたというのは言いすぎかもしれないが、協力してしまった。このことを心から悔い改めなければならない」、そう言われたのです。

ちょっと個人的なことで恐縮ですが、1995年、もう20年も前ですけれども、わたくしはヨハネ・パウロ2世とお会いする機会があった。そこでついお尋ねしたのです。「教皇(法王)様が今度おっしゃっている、全体主義政権が基本的人権を蹂躙したことについて、教会は深く反省しなければならないと言っておられますが、もちろん、ドイツ、イタリアのことがまず第一番でしょうが、日本のことも入っていますか」と聞いたら、「え、日本」と一瞬、息をのんでおられましたが、日本という国のことが視野に入っていたかははっきりしませんけれども、わたしたち日本のキリスト教、わたくしはカトリック信者でありますが、自分たちがアジア・太平洋戦争のときにどういう態度をとったのかということを反省いたしました。そして、戦争が終わってちょうど50年目に反省の意を込めた平和のメッセージというものを出しました。60年後の機会にも出しました。そして、今年は70年、普通は8月に発表するのですけれども、今、非常に雲行きが怪しいということで2月に発表いたしました。そして、その中で日本国の憲法の精神は本当に福音的なもので、イエス・キリストの教えそのものである、ということを率直に表明いたしました。

日本の中でキリスト教徒は非常に少ないです。ところが、憲法が非常にキリスト教的であるというのは不思議な感じがいたします。それはともかく、この憲法の基主である平和についての規定を守る、広めていくことがわたしたちの使命であると思います。

70年間、日本は戦争をしない国だということで、他の国からも信頼を勝ち得ていた。そこがだんだん危なくなってきていると思います。聖書の中に預言者という人が出て来るのであります。預言者というのは勇気を出して神様のことば、神様のみ心を人々に語る人のことなのです。預言者は迫害され、そして殺されたりしました。教会はこの預言者の任務を持っている。ですから、「これはどうしてもいけないことですよ。神様のみ心に背くことですよ」と思ったら、自分の身を守るために黙っているのではなくて、はっきりと言わなければならないと思うのであります。

集団的自衛権という言葉が何を指しているのか、国民の理解が得られていないのに、どんどん前に進めようとしているこの状況は大変、危ない、そしてよくないことであると思います。わたくしは一人の日本国民として、そして一人のキリスト教徒として、この日本国憲法の理念、理想をしっかり守り、そして多くの人に伝えていかなければならないと思っています。わたくしはカトリック教会に属していますので、全世界ネットワーク、その中で今いただいている評価、これをしっかり守る、そしてさらなる、この日本国外の仲間と手を握り、力を合わせて、ぜひとも日本国憲法の平和の理想をしっかり守り、そして推進していきたいと考えております。いろいろな主義、主張、宗教の違いを超え、人類共通の目標、生命の尊重、そして人間の尊厳を守り、進めるために、皆さん、力を合わせて歩んで参りませんか。よろしくお願いいたします。

2015年7月15日 (水)

強行採決

きょう、戦争できるようにする法案が強行採決、ひどいですね。 まったくひどい。どうかしている。憲法違反、法治国家であるのに。 世界の宝を葬ろうとする愚かな暴挙。

2013年8月17日 (土)

相互信頼構築

狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。 牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。」(イザヤ116-8)

このイザヤ11章の告げる風景は平和の「理想郷」を描いています。民族と民族、国家の関係における平和と調和だけでなく、人類と動物との平和共存、そして、人類との被造物の間の調和も告げられています。これは神の国が完成したときの姿です。

ご存知のように、わたしたちの現実はこの理想とは程遠い状態にあります。わたしたちはその理想の実現に向う途上にあります。理想の状態とは神の支配の完成であり、わたしたちはそこへ向かう旅路を歩んでいる、巡礼をしている、と考えられます。

平和を考えるときにいつも思い出すことばがあります。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」

 ユネスコ憲章の前文にある言葉です。このことばはすべての人が深く心に刻むべき戒めです。

 平和は神の賜物であると信じます。わたしたちひとりひとりの心に神の平和が与えられるよう絶えず祈らなければなりません。

 戦争の原因はまずわたしたちの心に中にあります。それは憎しみ、恨み、疑い、敵対心、利己心、貪欲、人を受け入れない不寛容などであり、この悪い思いが人を戦争へ駆り立てます。

 キリストは「敵意」という隔ての壁を十字架によって滅ぼしました。わたしたちのキリストに倣って隔ての壁をなくすように努めなければなりません。そのためにはまず互いに相手をよく知り、受け入れる努力が求められます。

 とは言うものの、具体的な『平和』の問題を人間の心の問題にだけに限定することは適切ではありません。具体的な努力が必要です。

教皇ヨハネ二十三世は、ちょうど50年前に、『地上の平和』という回勅を発表し、軍備縮小、さらに軍備全廃を訴えました。その際、「真の平和は相互の信頼の上にしか構築できない」と強調しています。

問題は「相互の信頼をどのように構築するのか」ということです。そのために枠組み、環境が必要です。

 そこでわあたしはきょう学んでいる日本国憲法を想起します。 

日本国憲法は相互信頼構築のための貴重な枠組み、基本法ではないでしょうか。憲法9条は陸海空その他の戦力の放棄を宣言しました。これは相互信頼構築のために有力な準備のひとつです。また日本国憲法の前文はこの相互信頼という理想を高らかに謳っているのです。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人類相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらは、平和と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努める国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。吾らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という言葉に特に注意したいと思います。日本国憲法はまさに、全人類の相互信頼構築のための模範的な決意表明なのです。

今日、昭和天皇が降伏を放送して戦争を終わらせた日であり、また聖母の被昇天の日です。聖母の取次ぎにより、キリスト者としてわたしたちはこの理想の実現のためによい働きをすることができますよう、祈りましょう。